キハ04〜07等特集
大正から昭和にかけて外国製品を巧みに取り入れながら、主に地方鉄
道で盛んになっていた内燃動車であるが、鉄道省でもキハニ5000・キハ
ニ36450の経験を生かし本格的にガソリン動車の以下の方針が打ち出
された。@極力軽量化に努めるA単車を前提とし大きな車端衝撃は考え
ないB国産部品を使用する等・・。
このような基本方針を基に昭和8年3月迄に36両の機械式キハ3690
0(すぐキハ41000に改正)が誕生した。車長15.5m・定員109名で自
重20tとなり、台車はTR26で車軸にはコロ軸受を採用、GMF13形ガソ
リン機関を搭載し連続定格出力100HP/回転速度1300rpmを達成した
。良好な成績を残した同車は昭和11年迄に138両が製作されている。
続いて昭和8年度に姉妹車キハ40000が登場した。これは勾配線用な
いしは15t貨車1両を牽引できるよう、車長が4m短く定員は75名、最高
速度は下げても牽引力を重視している。機関・変速機等主要部分は全て
互換性を持たせ30両が製造されたが、昭和17年迄に15両が特別廃車
となり華中鉄道へと供出されていった。
キハ41000の好評によって乗客数が増してくると、逆にキハ41000よ
り3.5m長い車長19m・定員120名のキハ42000が昭和10年に登場
した。主要部の構造はキハ41000を基本としているが前面を著しく流線
形とし空気抵抗の減少とスマートな外観を演出した。ガソリン機関はGMF
13形と部品の互換性を持たせつつ8シリンダにしたGMH17形で出力15
0HP/1500rpmである。昭和12年迄に62両が製造されている。
昭和12年にはドイツで盛んになっていた高速ディーゼルの固定編成を
見本として電気式3両編成のキハ43000並びにキサハ43500が1編成、
川車で誕生している。
皮肉なことにキハ43000が颯爽と登場した昭和12年7月には日華事変
が勃発、同年12月には第一次ガソリン消費統制が施行された。その後戦
線が拡大するに従い数次のガソリン統制が行われるにいたり、ガソリンに
代わる代用燃料を用いて運行する研究も行われたが、結局昭和20年3月
末を最後に気動車は全く使用中止となってしまった。
昭和23年、天然ガス使用によるキハ41000・42000の復活を経て、昭
和25年から27年にかけて日野のディーゼル機関DA55(75HP)を73両
のキハ41000に換装して形式をキハ41500に変更、また昭和26年には
同様の内容で(車体等はリベットの無い溶接となり雨樋等も取付いている)
50両キハ41500形41600番代が登場している。一方、振興造機で完成し
たディーゼル機関DMH17(150HP)をキハ42000に搭載し改造したキハ
42500が昭和26年43両誕生し、27年には20両の新車キハ42500形4
2600番代が誕生している。また昭和27年には8シリンダDMH17を6シリ
ンダにしたDMF13(110HP)を製作し、天然ガスキハ41200を改造しキ
ハ41300としている。(その後もキハ41500のDA55から取替えキハ41
300に入れられている)
昭和32年4月1日称号改正が行われキハ04〜キハ07にそれぞれ変更
されている。
○キハ04 0番代:キハ41300を改番した車両。
キハ04 15
昭和37年5月大宮工場。
冷却水装置には送風機の振動と騒音が付物であるがそれを解消する為に
屋根上に放熱機を置く事が考えられ、昭和35年に設置された車両。
屋根上が物々しい。
キハ04 17
昭和36年2月。
キハ04 22
昭和35年8月美幌。
○キハ05 0番代:(キハ41500のDA55をDA58に換装)キハ41400を
改番した車両。
キハ05 1
昭和35年8月標茶。
キハ05 1
キハ05 1
以上2枚昭和36年8月。
キハ05 11
昭和35年8月美幌。
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