草軽電鉄特集
明治41年11月草津の有志が集まり、草津興業株式会社の創立を計画
したのに始まって、明治43年4月沓掛−草津間の軌道敷設の免許を得た。
大正元年9月28日資本金70万円をもって草津軽便鉄道株式会社を設立
、大正4年7月22日信越線軽井沢駅(草軽では新軽井沢駅)を起点として
蒸気機関車により小瀬温泉まで10キロを開業した。その後の電化・区間
延長を経て、大正15年9月18日、新軽井沢−草津温泉間55,5キロの
営業運転を完成させたのである。昭和14年4月社名を草軽電気鉄道株式
会社と改称。戦後、嬬恋−上州三原間にある吾妻川の橋梁を台風で流出
し、バスによる連絡運輸を行っていたが結局そのバスには勝てず昭和35
年4月25日新軽井沢−上州三原間が廃止され、残る上州三原−草津温
泉間も惜しまれつつ昭和37年2月1日に廃止された。
新軽井沢駅
昭和35年3月新軽井沢駅。
同構内
昭和35年3月新軽井沢駅。
同構内
昭和35年3月新軽井沢駅。手前はデキ18
デキ12〜24(14は欠)
大正9年アメリカのジェフリー社で製造されたもので東京電灯株式会社が
信濃川発電所の建設工事用として買い入れた物。その当時は運転室は無
く車体中央にポールを立てていたが、草軽で買受後(昭和12年)運転室を
取付け、さらに電動機のある機械室にベンチレーターを付け台枠に重りを、
そして先従輪を付け1−B−1に改造し、ポールを廃して珍妙なパンタをの
せてこの形になった。
デキ13
昭和34年7月新軽井沢駅。
デキ13
昭和34年7月新軽井沢駅。
デキ13
昭和34年7月新軽井沢駅。
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