展望車特集ーマイテ39

                  マイテ39は2形式の流れを受けている。
                  昭和5年3月、初の鋼製1等展望車として大井工場で製造されたスイテ38(ス
                 イテ37000)が3両登場。この車両の展望室は白木屋式と呼ばれた洋風デザイ
                 ンで特急「富士」用とされた。
                  スイテ38に次いで昭和5年12月に、マイテ39(マイテ37010)としてやはり特
                 急「富士」用1等展望車として大井工場で製造された。こちらの展望室のデザイン
                 は純和風の桃山式とし2両が誕生した。その豪華な室内はぼんぼりの様な天井
                 灯、天井や壁に金色に散りばめた装飾金具等、工芸品としても一級品である。
                 室内配置はどちらも前位から展望デッキ・展望室・談話室・区分室・給仕室・洗面
                 所・便所・車掌室・出入台とし、車体はダブルルーフでTR73を履いている。
                  戦時中はスハ38に改造予定であったが、そのまま使用停止となり、戦後も占領
                 軍に接収されなかったスイテ38 2・マイテ39 1・2を昭和24年に復活した特急「
                 平和」に使用される事となったが、マイテ39 1の車内破損が著しい為桃山式展望
                 車をマイテ39 2にまとめることとし、残ったマイテ39 1は新しく簡素な洋式デザイ
                 ンとした。よって洋風2両、和風1両となった訳である。この際1等室は3両共1+2
                 の座席配列とし、初のリクライニングシートを設計し最前位だけは向かい合わせの
                 固定腰掛として定員14人とした。また前方に飲物等のサービスコーナーも置かれ
                 たので中央部の窓割が変更されている。川崎重工業のKM式空気調和装置も取
                 り付けられた。その為記号が全て「マ」級となり、マイテ39 1はそのまま、桃山式
                 マイテ39 2は11に、洋式スイテ38 2はマイテ39 21と改番された。その後「つ
                 ばめ」「はと」に使用されると共に青大将塗装となったが、予備車になっていたマ
                 イテ39 11は塗装変更されていない。昭和35年1等車廃止と共にマロテ39 1・
                 11・21になっている。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和33年7月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和33年8月名古屋駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和34年6月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月東京駅。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月田町。

                 マイテ39 1
                 
                 昭和35年5月六郷鉄橋付近。


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