寝台車

                 マロネ29 0番代
                  昭和3年マロネ48500形として33両が落成。同年10月の称号改正後にマロ
                 ネ37300形として10両が落成し計43両となった。外観は二重屋根に小さな窓、
                 魚腹台枠に台車はTR71である。定員42人・寝台28人の室内はプルマン式の
                 2段寝台が片側7組ずつ並び、通称舟形寝台と呼ばれている上段寝台で、窓上
                 部にヒンジで取り付けられて昼間は上側方に畳むため広々とした室内になる。
                 寝台には寝台灯・時計入・貴重品入・衣類用のハンモックなどが設備されている。
                 下段寝台は夜間は通路側に引き出して使用し、布団は青色のモケット張りであっ
                 た。昭和16年の称号改正でマロネ37形となり、戦局が悪化すると36両がマハ
                 47に改造、残った7両が戦後連合軍に接収され特別軍用車として使用された後、
                 昭和28年の称号改正でマロネ29となった。その後昭和32年までに全車両廃車
                 された。

                 マロネ29 1
                 
                 昭和36年7月東京駅。
                 マロネ48506として昭和3年日本車両で落成。同年の称号改正でマロネ3730
                 6、更に昭和16年の改正でマロネ37 7となる。戦時改造されること無く終戦後
                 は昭和20年11月2日に進駐軍用の病院列車編成車として指定され翌月17日
                 に大宮工場で寝台1区画を撤去し担架用側出入台を両側に設置した。翌年6月
                 には軍番号2901とされるが、魚腹台枠のため冷房化できず、同年12月2日に
                 寝台設備を復元。普通寝台車の軍番号1442に変更された。昭和27年3月の返
                 還後は翌年の称号改正でマロネ29 1となり九州急行で活躍、昭和36年に廃車
                 された。

                 マロネ29 2
                 
                 昭和36年7月東京駅。
                 マロネ48518として昭和3年川崎で落成。同年の称号改正でマロネ37318
                 更に昭和16年の改正でマロネ37 19となる。その後接収を受け普通寝台車
                 の軍番号1401に変更された。昭和27年3月の返還後は翌年の称号改正で
                 マロネ29 2となり、昭和37年に廃車された。



                 マロネ29 20番代
                  昭和4年12月から昭和6年8月にかけてマロネ37350形として49両が落成。
                 車体は上記マロネ37300形と比べ、窓寸法が同時期に登場していたスハ32
                 と同様に拡大され、台車もTR73となっている。また室内配置を見直しあらたに
                 2人用化粧室を配置することで、化粧室設備を3人分とすることができている。
                 やはり戦時改造で43両がマハ47となり、残った6両が戦後連合軍に接収され
                 た後返還されて昭和28年の称号改正でマロネ29 21〜25・31となった。

                 マロネ29 23
                 
                 昭和34年2月名古屋駅。
                 マロネ37375として昭和5年7月日車で落成。昭和16年の称号改正でマロ
                 ネ37 69となり昭和28年の称号改正でマロネ29 23となった。昭和38年2
                 月廃車。



                 マロネフ38 10番代
                  昭和6年3月から8月にかけて鷹取工場で4両がマイネロ37260として落成。
                 始から北海道向けに設計した車両で一等区分室は4人室が1室、2人室が3室
                 で二等室は両端が固定式腰掛、中間が転換式腰掛である。一等寝台室には喫
                 煙室を設けていなかった。その後昭和15年にマイネロ37261〜37263の3
                 両を緩急車に改造してマイネロフ37261〜37263とし、翌年の称号改正では
                 マイネロフ37となった。尚緩急車設備は前位側の給仕室に取り付けられ給仕
                 室が車掌室になったため車両の前後が入れ替わり二等室が前位となった。戦
                 後は連合軍に接収され、講和後も貸渡客車となったまま昭和28年の称号改正
                 で3両共マイネロフ29となり、その内のマイネロフ29 1・2が返還後の昭和29
                 年3月に大船工場で二等室を二等寝台に改造しマロネフ38に編入されマロネフ
                 38 11・12となった。舟形2段寝台6区画、元一等の区分室4室、中央に喫煙
                 室を設備し、元一等区分室内の洗面台を撤去して折畳テーブルを設置した。そ
                 のため昭和30年の一等寝台廃止の際には区分室を含めて「C」クラスの二等
                 寝台として区分された。急行「能登」等に使用されていたが昭和42年11月両車
                 共廃車された。台車はTR73。

                 マロネフ38 11
                 
                 昭和35年4月福井駅。
                 マイネロ37261として昭和6年鷹取工場で落成。昭和15年7月に緩急車化し
                 てマイネロフ37261となり翌年の称号改正でマイネロフ37 1となる。終戦後
                 11月に接収、軍番号1715となった後マイネロフ29 1となり、昭和29年マロ
                 ネフ38 11となった。



                 マロネロ38
                  昭和11年から14年にかけて日車・川車・大宮工場で35両がマロネロ3760
                 0として落成。舟形2段寝台6区画と転換式の座席からなり、亜幹線の急行列車
                 や長距離普通列車の二等寝台・二等座席車用として作られた。定員は寝室座
                 席18人・寝台12人・二等32人・喫煙室2人であり台車はTR73である。昭和1
                 6年の称号改正でマロネロ37 1〜35となり戦局が悪化すると、昭和19年に17
                 両が座席を撤去されて定員100人のマハ47に改造される。残る18両は戦後接
                 収され、昭和28年の称号改正では元の番号順に整理してマロネロ38 1〜16・
                 21・22となったが2両はマロネロ37 25・26からマロ37 1・2に改造されその
                 まま戻らず、マロネロ38 7・8は欠番となっている。またマロネロ38 21・22は
                 二重窓を装備した北海道用である。その後も亜幹線の急行列車等に使用されて
                 いたが昭和41年までに廃車された。

                 マロネロ38 9
                 
                 昭和36年4月。
                 昭和14年4月、マロネロ37626として川車にて落成。昭和16年10月の称号
                 改正でマロネロ37 27、昭和28年の改正でマロネロ38 9となり昭和41年1
                 月廃車された。

                 マロネロ38 13
                 
                 昭和37年8月。
                 昭和14年4月、マロネロ37630として川車にて落成。昭和16年10月の称号
                 改正でマロネロ37 31、昭和28年の改正でマロネロ38 13となり昭和38年
                 2月廃車された。

                 マロネロ38 13
                 
                 昭和37年8月。



                 マロネ41
                  戦後在来の優等客車が進駐軍用として整備され供用されてきたが、CTSは
                 さらに区分室とプルマン式を有する寝台車マイネ40を要求、続いて全室プルマ
                 ン式の1等寝台車の追加を要求し、昭和25年に12両のマイネ41が川車・近
                 畿・日車で誕生した。寝台は970o幅の2段寝台で定員24名となり(座席48
                 名)、台車はTR40のばねを軟らかくしたTR40Aを履いていた。また冷房装置
                 はマイネ40の直接駆動方式からベルト駆動で発電機を回転させ、その電力で
                 圧縮機を駆動する発電機式と呼ばれる方式を採用している。その後昭和30年
                 6月の1等寝台廃止によりマロネ41となった後、冷房装置をディーゼル式に改
                 造し、昭和37年からはオロネ10並の近代化工事が施工され複層ガラス固定
                 窓化により20番代になった車両もいる。昭和49年までに廃車された。

                 マロネ41 10
                 
                 昭和35年7月東京駅。
                 昭和25年2月、マイネ41 10として日車にて落成。昭和30年の改番でマロネ
                 41 10となり近代化改造を受けた後、昭和39年3月高砂工場にてマロネ41
                 23となり、最後は昭和49年3月マヤ43に改造された。

                 マロネ41 10
                 
                 昭和35年7月東京駅。



                 マハネ29
                  昭和3年マロネ48500として33両が落成。同年10月の称号改正後にマロ
                 ネ37300として10両が追加され、計43両となった。室内はプルマン式の2段
                 寝台が片側7組ずつ並び、舟形の上段寝台を畳んだ昼間の状態では広々とし
                 た開放的な室内である。台車はTR71。昭和16年の称号改正でマロネ37と
                 なり、戦局が悪化する中昭和19年に全車両が戦時3等車マハ47に改造を計
                 画されたが、7両はそのまま残り工事が完了したのは36両だった。この内7両
                 が戦災で廃車となり、残った車両の内13両が接収を受けて、朝鮮戦争後、部
                 隊用簡易寝台車マハネ37となった。これは室内の腰掛を全て取り払い窓側の
                 床から天井まで鉄の支柱を立て、上下2段に鉄枠にキャンパスを張った簡易
                 寝台が並べられ文字通り簡易構造として昭和25年に登場したものだった。そ
                 の後昭和28年の改正でマハネ29となり、返還後の昭和31年から34年にか
                 けて全車両がマハ29・スヤ39・カニ29・カニ38に改造され消滅した。

                 マハネ3430(マハネ29 8)
                 
                 昭和32年6月品川客車区。
                 マロネ37333として昭和3年12月小倉工場で落成。その後昭和16年の称号
                 改正でマロネ37 34となる。戦局が悪化すると昭和19年9月鷹取工場でマハ
                 47 34となり、連合軍に接収され昭和25年9月にマハネ37 4、(軍番号3430・
                 軍名称FORT MONROE)となり昭和28年称号改正でマハネ29 8、昭和33
                 年1月カニ29 22、昭和39年2月スエ38 7と変遷していった。


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